こんにちは。サイト管理者の@pyorubananaと申します。この度は「ぴょるチャンネル」をご覧いただきありがとうございます。このページでは当サイトの管理者についてご紹介いたします。
生まれも育ちも茨城県の私が沖縄移住した経緯と、こんなはずではなかった・・・!思いもしなかった激動の人生からの現在ブログ運営に至る経緯をお話いたします。
ナースだった私が沖縄移住した訳は・・・
現在沖縄県那覇市に住んでおります。沖縄県民となってはや20年超あっという間にこんな月日が経ってしまいました。
生まれも育ちも茨城県の田舎者の私でしたが、バリバリのナースとして日々働いておりました。
そんな当時の趣味だったのがダイビング!
稼いだお金で、一年中ダイビングに明け暮れて、伊豆の日帰りダイビングから海外のモルディブ、パラオなどあちこち潜りに行っていたのです。
そして沖縄宮古島に初めて行ったときに、その海の素晴らしさに心を打たれてしまったのです。
そう・・・かれこれ20数年前。
その感動は今でも忘れられません。
で、退職を機に、3か月くらい宮古島で遊んでみようと企て、すぐ飛びましたwww。
思い立ったらすぐに実行したいタイプの人間なので、迷いや不安は全くなかったです。
「宮古島でバイトをしながら休日は海で潜る、キャー最高だわ~‼」と、ワクワクしながら飛行機に乗ったのがついこの間のようです。
そんな宮古島にどっぷり浸かった生活がはじまりました。
宮古島の海は本当に素晴らしいのです!何度潜っても飽きません!
白い砂地にエメラルドブルーの海!きらめくサンゴ礁やイソギンチャクから顔を覗かせる可愛いクマノミ♡、ケーブからのキラキラ降り注ぐまばゆい太陽光・・・。
ダイナミックな崖に泳ぐイソマグロやロウニンアジ、マンタなどにも遭遇できるし、なんといっても透明度は世界一といっても過言ではないでしょう。
あらゆる要素が詰まった「お楽しみダイビング詰め合わせ」のような海が、宮古島のダイビングにはあったのでした。
そんな宮古島のダイビングにどっぷり浸かってしまった私は、ダイビングショップに用は無くても遊びに行くようになり、すっかり顔なじみ、いや、もうお友達状態となっていました。
すると繁忙期にとお手伝い要請があったのです。
「ちょっと手伝ってくれない?」
『お昼のお弁当』プラス『タダで潜れる』というおいしい話。
『やる‼』
即答でした。
その当時2ボートダイブ(ボートに乗って2回ダイビング・ランチ込み)通常料金13000円(地元割9000円)ほどだったので、無報酬でもランチと2ダイブができるのであれば超ラッキーなことだったのです。
でもしっかりこき使われましたけどね・・・(汗)。
おかげ様で鍛えられましたし、ダイビング中のガイドの仕事の大変さが身に染みてよくわかりました。
ダイビングで筋肉ムキムキに
ダイビングのお仕事って、第一に『体力』第二に『体力』第三に『体力』なんです。
体力無くして務まりません。
その他にもダイビングにまつわる事や天候、海流など『知識』はもちろん、お客さんに対する『気遣い』『観察力』も根底にあった上で、やはり『体力』勝負。
タンク運び、機材運び、アンカー引き上げ、ボート係留作業など、毎日が筋トレの連続でした。
繁忙期は30人以上のお客さん×2~3ダイブでしたから、そのタンクの総数の上げ下ろしがあったのでそれは大変でしたね~。
でも、もちろん一人じゃありませんし、お客さんも手伝ってくれてみんなでやり遂げた感があったから、それさえも楽しかった。
そのおかげで、筋肉ムキムキ逆三角形のたくましい体になりましたwww。
ガイドダイバーは天職だった!
朝9時頃いったん港から出航すると、狭いボートの上で船長(ボス)とスタッフとお客さんが帰港するまでずっと一緒の空間にいることになります。
これまで色々な国や地方に潜りに行きましたが、ダイビング前後とログブックを付ける時以外は、スタッフとあまり関わらないところが多かったような・・・。
ですが、宮古島の私がお世話になった複数のダイビングショップは、一人で来たお客さんでも帰港するころには一緒に潜った全員が楽しく会話できるような関係になってしまうのです。
夕飯もスタッフとお客さんみんなで居酒屋に行き毎日「打ち上げ」するので、とにかく最後まで楽しい!
そんなこんなで月日が流れ、気が付いたらダイビングガイドとしてお給料をもらうようになっていました。
前職がナースだったからか?船酔いしてないか?など、お客さん一人ひとりの体調を気遣うことには長けていたと自負しておりました。
そして自称『ナースガイドダイバー』として、「安全に」「不安なく」「宮古島の海を堪能してもらいたい」、「私が受けた感動を味わってもらいたい」その思いが伝わって『最高!楽しかった~!』と言ってもらえることが最高に嬉しかったです。
誰よりも私が一番ダイビングを楽しんでいたのではないでしょうか・・・。
滑るように海を走るボートの先端に座り、太陽の日差しを浴びながら、キラキラ透き通る海を見てこう思いました。
『まさに天職じゃないかー‼』
いい時も悪い時も様々なシーンがありましたが、約5年間の天職ガイドダイバーを堪能したのでした。
長男嫁・母になる
まさか沖縄で結婚するとは・・・。
人生どこで何があるかわかりません。
運命の人に出会い、沖縄の長男と結婚をすることなりました。
天職だったガイドダイバーは結婚してから続けらず、後ろ髪ひかれながら引退。
ほどなく第一子を授かりましたが、残念なことに2か月弱で虹の橋を渡っていってしまいました。
とても短い期間ではありましたが、尊くかけがえのない時間、貴重で大切な絶対忘れることがない時間を過ごすことができたと思っています。
『生まれてきてくれてありがとう。たくさん頑張ったね。ママはあなたと過ごせた時間がとても幸せでした』
何でこんなことに?私がいけなかったのか?と自責の念にとらわれていましたが、旦那さんのおばーが言っていた言葉で少し救われた気がします。
『もう悲しまないよ~。悲しんでいたらあの子も悲しいよ~。あの子はもう大人になっているよ~』って。
沖縄のおばーにはあの子が大人になった姿が見えていたみたい・・・。
私も見たかった‼
不思議な話ですが、あの子はこれからいつも一緒にいるんだと思うと少し落ち着くんです。
その後、幸いに第2子・第3子と子供に恵まれました。
きっと『あの子』が守ってくれている。
そう思っています。
再びナースの道へ
第2子、第3子と出産し、沖縄本島での生活が始まりました。
週末行われているフリーマーケットに行った時に、アメリカブランドのベビー服と出会うことになりました。
とにかくカラフルでデザインが可愛くて質が良い‼そしてヤフーオークションで高値で売れたのです。
フリマで仕入れてヤフオクで売るというような生活を送っていたのですが、これって新品仕入れて売れない?と思ってしまった。
そんなこんなで自分でネットショップを立ち上げてアメリカなどから輸入したベビー服を売るようになりました。
それが驚くほど好調でしたが、まるっきり一人で運営していたため手に負えなくなる状態になり、相談する人もなくあえなく閉店。
その後、ナースへの道に戻っていったのです。
ブランクもあまり感じずナースとして着実にステップアップしながら働くことができていました。
新しい仕事『ブロガー』への挑戦
諸事情により退職して時間だけがただ過ぎていくなか、全く興味がなかったYouTubeやSNSを子供たちから教わり見るようになったのです。
以前は夢中でYouTubeを見ている子供たちに対して「何がそんなに面白いのか?」と思っていたのに、あっという間にはまってしまいました。
そんなYouTubeの中で、今まで考えたこともない仕事で、今の私に出来ることはこれかもしれないという物に出会ってしまいました。
そう、『ブロガー』です。
家でもどこでもいつでも一人で出来る、何歳でも、パソコンさえあれば何の制約もない仕事。
仕事を休む気まずさもなく、遠く離れた両親にも会いにいけるし、実家で仕事をすることもできるなんてこれほど理想的な仕事はないでしょう。
私もよくネット検索して調べていましたが、より分かりやすい役に立つ情報を私が発信していけたらこれほどうれしいことはありません。
ここ沖縄についての地元民だからこそ発信できるディープな内容や、新しい物好きな私だから伝えることができる情報を皆さんにお届けできたら幸いです。
このブログでは、主に今話題の新しい情報や暮らしに役立つ情報などを発信しています。
まだまだ始めたばかりで未熟な私ですが、皆さんが楽しんで読んでいただけるブログを書いていきたいと思っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。